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村の概要:木島平村の紹介

村の概要:木島平村の紹介

2013年3月28日

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村の概要

誕生1955年2月1日

 木島平村が誕生したのは1955年(昭和30年)2月1日。穂高村、往郷村、上木島村の3村が合併して生まれました。名前の由来は、中世に木島郷があり、近世にはこの地一帯が木島平と呼ばれていたことから名付けられました。


木島平村の紹介1

位置  138゚24',36゚51'

 これは役場の東経と北緯を示したものですが、緯度はヨーロッパではギリシアのアテネよりやや南、アメリカではサンフランシスコよりやや南にあたります。

長野県の北端、千曲川をはさんで飯山市の対岸に位置し、県庁所在地の長野市からの距離は約40kmです。

面積 99.32k㎡

村の面積は 98.54k㎡でしたが、昭和56年に栄村との境界確定を経てから99.31k㎡となりました。また平成27年3月6付けで99.32㎢に変更となりました。

標高 335m

役場の海抜は335m。樽川、馬曲川の扇状地、海抜320~750mの間に26の集落を形成しています。南に高社山(1351.5m:写真右)、東南に高標山(1747.9m)、そして東はカヤの平高原、北は毛無山系と三方を山に囲まれています。

気候 110日間

気候は内陸性気候で寒暖の差が激しく、年平均気温は11℃。長野県内でも有数の豪雪地帯で、冬季間の積雪期間は110日間で、積雪深は1.5~2.0mにも達し、積雪期間の平均降水量は1,315mm、長野市の938mmと比較すると40%も多く、農作物の栽培に適した自然環境をつくりだしています。

村章(昭和48年7月14日制定)

昭和48年、広く一般から公募して、同年7月14日制定したもので、木島平の「木」の字を図案化し、未来に向かってはばたく鳥をあらわしたものである。昭和50年には村の花として「福寿草」を、平成7年には村の木として「ケヤキ」を制定しました。
木島平村の紹介2

村の花 「福寿草」(昭和50年7月15日制定)

木島平村の紹介3

村の木 「ケヤキ」(平成7年9月10日制定)

木島平村の紹介4

人口 4,939人

 合併当時、8,206人だった村の人口は、昭和60年10月1日の国勢調査で6,000人を切り、平成7年には5,850人、平成12年には5,513人、平成17年には5,312人、平成22年には4,939人となり人口は減少傾向にあります。平成17年からスタートした第5次総合振興計画では「ほっと、もっと、ずっと 自然劇場 きじま平」をキャッチフレーズに住みよい村づくりを進めています。

高齢化率 32.2%

 65歳以上の人口比率は平成12年で30.1%、平成17年には30.9%、平成22年には32.2%となっています。これは全国平均に比べて30年ほど先行しています。この傾向は全国的なものですが、このまま推移すると、住民の3人に1人は高齢者という超高齢化社会となります。そこで若者の雇用創出、定住促進が村づくりの大きなテーマの1つといえます。

産業

 合併当時の村の産業の中心はなんといっても農業。昭和35年の統計では第1次産業75.1%と8割近くを占め、第2次産業は8.9%、第3次産業は16.0%に過ぎませんでした。しかし全国的な農業離れのなかで、昭和50年に第1次産業は50%を割り、平成12年は32.0%、平成17年は31%、平成22年には26%と最盛期から3分1以下となっています。これに対して第2次産業は22.7%、第3次産業は51.4%と増えて、第1産業を超えています。(平成22年国勢調査)

木島平村の紹介5

ふう太

木島平村のシンボルマーク「ふう太」。村の境界線をアレンジした形に、鬼の首塚伝説などの「鬼」をイメージしたマーク。鉢巻は村づくりに対する「がんばるぞ!」という意欲を、土台の曲線は山並みや、清流、実り豊な大地を表現しています。

木島平村の紹介6

村民憲章(昭和50年7月15日制定)

木島平村の紹介7

村歌「栄え行け木島平よ」(昭和48年7月14日制定)

木島平村の紹介8

お問い合わせ

総務課
政策情報室
電話:0269-82-3111

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